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運営者プロフィール

望月道之

1965年6月4日生まれ

趣味 

趣味と言う感覚はまったくありませんが、気功治療 を多少たしなんでいることと、瞑想(座ってやることはめったにありません)して気持ちよくなることと、人助けをすることが好きです(若い頃マザーテレサ共労基金なるものに送金してたこともあります、今は不特定少数の方たちの手助けをさせていただいています)。
好きなこと

人のやらないことにチャレンジすること。基本的に人と同じことをするのは嫌い、と言うよりおもしろくない。習いごとをしても基本的な線をマスターしたら自分の経験に基づきどんどん自分流にアレンジしてしまうクセがある。人の言うことをうのみにしない、人の意見より自分の経験、感性のほう優先。


嫌いなこと

自分の場合でも人の場合でも、または自分自身に対してでも人が己に対してでも、

本筋からズレた決め付けをすることは大キライ。

とくに人が己自身にそうするのを見るとキライと言うより憤り、あわれみを感じる。「わたし仕事に集中できないの、だからダメなのね」とか「オレは頭よくないし、これしかないんだよぉー」とか、

いったい誰がそう言ったんだ、仮にそう言われたとしても自分自身がそのヘンテコリンな考えを無用心に受け入れただけじゃないんか、

と言いたくなってしまう。

つい最近もこんなことがありました 。

国家プロジェクトで大工育成塾というのがあるのですが、うちの会社にも未来の大工のタマゴを一人受け入れています。この子は見た目大変、静かでおとなしく(と言うよりほとんど何もしゃべりません!)、育成塾のカリキュラムであるカンナ削りやカンナ研ぎ、のこぎりの目立て、カンナとのこぎりをつかった加工の実習など、仕事の一環として、黙ってモクモクと作業するのですね。

ところが見てくれと、ちよっとばかり(若いので、まだ19歳です)気転が効かないところがあるものですから、まわりの人からバカだのちょんだの、お前は大工に向いていないからやめろだの言われちゃうわけです。

ところが、さんざんけちょんけちょんに言われたあとでも、休憩時間になると静かにイスにすわって、しばらくするとコックリコックリ居眠りをこくわけです。そして、休憩時間がおわると、またひたすらモクモクと自分の今の課題に取り組んで作業するわけです。

何回も観察したけどこの一連の流れ(モクモクと作業する→人にけちょんけちょんにバカにされる→休憩時間に居眠りをこく→またひたすらモクモクと作業する)は、ちっとも乱れることがないのです。

つまり、これは

人にバカにされようが、どう言われようが大工になることしか見ていないわけです。

こういう人は必ず自分の願いを達成しますから、私個人としては大変高い評価をしているわけです (ただしこういう人物は人の評価を気にかけることはありません、ひたすら自分の道を行く人です)。

で、大工の修行も3年目に入るから、もうそろそろ良いだろうという私個人の判断で、私が教授となり墨付けという作業を教え込むことに決めたわけです。(墨付けとは、これが出来て一人前の大工といわれる作業で、木のクセを見極め切断位置やほぞを付ける位置向き長さ等々を材料に書き込む作業のこと、この墨付け指示に従い材料が加工され、めでたく上棟日を迎えるという結構、責任重大な作業)。

で、墨付けの教授役をやる前にも「あいつは教えた先から少し目をはなすと、まったく違うとんでもないことをやる」とか「大工に向いていない、大丈夫なの」とかさんざん私もおどかされたりしましたが、墨付け作業の手ほどきもさっくりと教えて(実際に教授した時間は正味3時間といったところ)、やらせてみたわけです。

2軒分の墨付けをして、結果は2軒とも棟上げは無事すみました。間違いという間違いもほとんどありませんでした。ベテランの大工がやったって2箇所、3箇所は平気で間違いますのに。で教えた私としては言ってやりましたよ。「君らの教え方が悪いのではないか」「もしかしたら君らのほうがバカかもしれんねぇー」と、ほんのちょっぴりだけ嫌味ぽく。


惹かれることば

般若心経のなかの「色即是空、空即是色」という部分。色々と起こるものごとに、考えや感情でもって色づけするから悩みが生じ苦しむのだ、そんなものははなっから存在しない、すべてはあるがままに包み込まれているというのが本当のところだ、といったような意味。

昔の中国の偉い禅の坊さんが残したと言われていることばで信心銘とよばれている中の一節。

大いなる道は難しくない

選り好みをせず 愛することも憎むこともなければ すべてははっきりと明らかになる

道は大いなる虚空のように完全で 欠けたところも余分なところもない

ただ取捨選択するために物事の本質を見極められないだけだ

外界に巻き込まれてはならない

空という概念にとらわれてもならない

一なる境地に帰して ただ静かにしていなさい

そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る

心の活動を止めようと努力しても その努力がさらなる活動をもたらす

対極の一方を選んでとどまるかぎり 一なるものを知ることはできない

根源に帰れば本質を会得する

だが現れを追いかければ源を見失ってしまう

一瞬にして悟れば 現れも空もともに超越される、、、、、、




今も生きていて精力的に活動している 、インドの女性聖者と呼ばれている人の言ったことばで「自分自身の本質を見出しなさい、そしてもっと自分自身を信じなさい」

まったくその通りです。

こんなところで仕事しています

左側は仕事場の外観、屋根の上にテカテカしたものが見えるのはただのガラスで、屋根葺き材である鋼板の下には外気を取込み空気がながれるように仕込んであります。鋼板葺きの下で暖められた空気はガラスの部分を通ることでさらに温度があがり、屋根のてっぺんあたりまでいくと、なんと50℃以上の高温に達します。この熱を床下に送風して床暖房すると同時に全館暖房しちゃうわけです。真冬の寒い時期でも屋内温度は25℃近くまで暖まります。また、この熱は余熱として残るように工夫してありますから、朝方の寒い日(氷点下になっても)室温14度より下がることはありません。右側は私の仕事場風景です。ここで設計したり予算組みしたりこのホームページをつくったり更新したりしているわけです。

なぜローコストにこだわるのか?

私は平面図や立面図といったプランづくりから、

構造設計、

家づくり全体にかかる費用の見積り、

予算組みまで

一括してやるのですが、プランの作成が出来たときに、あわせて見積もり、予算組みもやってしまうのですね。

それで、まず、見積りの最初の入力項目は仮設費用で、その次に仮設足場、次に基礎工事、大工工事、建材工事と続くのですが、建材工事の見積り入力が済んだあたりで一度入力した見積り金額が現時点(仮設工事、仮設足場、基礎工事、大工工事、建材工事の合計金額)でいくらになっているのかの確認をするのです。

まだ見積り入力項目は全体の2割ほどですからそんな高い金額にはなっていません、この時点では。

で、

今回はもしかすると思っているより総体金額が安くなるかもしれないと期待なんかをしちゃったりして、ハラハラ、ドキドキ、わくわくして残りの見積り項目を入力するのですが、だいたいパターンは決まっていて全項目を入力し終わって総体見積もり金額を確認すると、

入力した本人自身が納得出来ないくらい高くなっているというのが相場です。

で、一人つぶやくわけです。

「ちっくしょうー。何でこんな高くなんだっ、とにかく家づくりは高い!金がかかりすぎだっ!」

そして一人黙りこんで、こう思うわけです。

「もっと何とかならないんだろうか?」

なんでこんなアクションを起こすのかというと、自分に置き換えて考えてしまうわけですね。

つまり、今担当しているお客さんのことを自分のこととして見てしまうわけです。

うんで、たいがいの人は銀行でローンを組んで住宅を購入するでしょ、そうすると、この方だとだいたいこれくらいの借り入れを起こして、○○十年で毎月○○万円返済していくんだ、もっと安く建てたいと思ってしまうわけです。

このことは、材料選定や仕様決め、プラン作成時時にも同じで、ついついお客さんよりにかたよった物の考え方をしてしまうものですから、プラン作成時などでも、「あっ!ここにこれが必要。」「あっ!ここをこんな風にするともっと使い勝手よく便利になる。」という按配でやるものですから、赤ちゃん(赤字)になるギリギリでやってしまうことも多いです(白状)しますと(マジで)。

住宅って本当に高いですから、あわせて、ほとんどの場合で銀行で高いローンを組んで何十年も、毎月、毎月返済しなければならないですし、返済金額もただ借りた分だけを払えばいいわけではなく、アホみたいに高い利息も払わなければならないのですから、

建物総体金額が100万円でも200万円でも安いほうがいいに決まっています。

で、安心できる材料(自然素材や骨太の骨組み耐震特殊スジカイ)を使って、しかもローコストで家づくりを提供することが、自分の使命のように感じているというわけです。